2017/08/07

なぜNZに留学したのかを随分とほったらかしにしていた起業家ばぁばnanaです。
おはようございます。
一気に書き上げたかった題材ですが、後回しにしてしまいました。
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娘の住むテネシーに遊びに行きました
長女がアメリカに交換留学に行った事までお話ししました。
あの当時は今の様に、携帯もない時代で、国際電話をするか、かろうじてPCでメールができるか、はたまた手紙を書くかが連絡の手段でした。
長女がお世話になっていた留学機関は電話は禁止していました。
なぜなら、命に係わること以外の心配事は時が解決する、自分でどうにか解決するというのが基本でした。
なので、連絡がないことはうまく(どうにか)やっているんだなという判断です。
そして、家族が会いに行くことも可能ではありましたが、それは留学の最後の月と決められていました。
8月にアメリカにたち、翌年の6月には帰国する日程でしたので、5月に娘のホームステイ先に訪問しようと決めていました。
5月の連休は航空運賃も高いので、連休開けてから。
その時に、次女(当時小学校5年生)と行く予定でしたので、もちろん次女は学校休ませました(笑)
長女のホームステイ先はアメリカのテネシー。
テネシーワルツは聴いた事あるけど、その他の情報は・・・・あ、プレスリーですかね。
そんな程度の知識ではるばる次女と二人でアメリカへ旅たったのです。
テネシーの空港まで迎えに来てくれた長女とその家族。
小さな女の子二人と手をつないで現れた長女は、なんとまぁふっくらとしていて驚きました!
一年の間にしっかり甘いものが長女を大くしたんですね。
ホストパパの車に乗ってお家迄の道中、長旅と緊張で疲れ切ってしっかり寝てしまい、途中覚えていません。
ホームステイ先は回りに家が見当たらないような、お隣までは車でないと行けないような、まさに広大なアメリカの一軒家でした。
時々グーグルアースで長女の住んでいたところを見たりするのですが、未だにその当時とあまり変わらない風景です。
そんなに大きな家ではなかったのと、家族が多いので、長女はホームステイ先の長女と(同じ年)二人で部屋をシェアしていました。
ざっと家の中を案内してもらいましたが、あまり記憶にないんです。(きっとじろじろ見ては失礼とさーっとやり過ごしたんだと思います)
家族全員が敬虔なクリスチャンで、子ども達はチャーチのホームスクールに通っています。
長女はホームスクールではなく、あえて色々な人に出逢えるような地元の高校を希望し、同じ留学生のイタリア人オマーと通いました。
最初の頃はいろいろもめごともあったようですが、10カ月もたてばすべての事が昔話になってしまう、家族の一員として位置ずけられている長女を見て安心したことを憶えています。
長女の英語力に驚いた
その後、私たちは近くのホテルで2日間ほど過ごし、娘達と私で、一番のお楽しみ「フロリダのディズニーワールド」で三日間を過ごしました。
なぜ、次女も留学させようと思ったのかはこの時の長女の英語力の上達ぶりです。
留学団体に申し込んで、一回目の試験で落とされて、さらに勉強することを条件に二回目の試験でどうにか合格をもらって留学することになった時は、英語力は全然だったのです。
それがディズニーランドに行ったときには立派な通訳として私たちを助けてくれました。
タクシーのお兄ちゃんにも褒められたくらい(笑)
そこで、一年でこんなに英語が上達して、社交性もできて、他の文化の人たちと過ごすことが体験できる環境に是非ぜひ次女にも挑戦してほしいと思いました。
次女と一緒に留学すると決めた
どこの国がいいのか?を、いろいろ調べました。
次女はどうせなら3年間留学させたかったのと私も一緒に行ってみたいという小さい時の夢が沸々をわきあがりました。
留学料金が安くて、安全な国。
アメリカは個人で留学するにはかなりの金額がかかりますし、危険なイメージがありました。
長女がお世話になった留学機関は(他の留学機関も)1年間しか留学できません。
なので、個人で留学できる国を探しました。
その当時はやっていたのが「mixi」
ここで、留学のカテゴリーを片っ端から見て、いろいろな人から意見を聞いて、ニュージーランドに決めました。
長くなってしまったので続きはまたね。
50歳でなぜNZに留学したのか①
50歳でなぜNZに留学したのか②
50歳でなぜNZに留学したのか③
50歳でなぜNZに留学したのか④
50歳でなぜNZに留学したのか⑤
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